「儂に譲る気になったら、いつでも申せ。分かったな」
信長はそう言い置くと、もう用は済んだとばかりに、速やかに濃姫の部屋から去っていった。
姫は、去っていく夫の背中を見送ることもせず、悄然とした面持ちでじっと手の中の短刀を見つめているのだった。
濃姫の部屋を後にした信長が、平手政秀の呼び出しにより表御殿の広間にやって来たのは、それから四半刻ほど経った頃のこと。關於我們 | BOTOX香港
上段で胡座をかき、横に置いた脇息にダラリと寄りかかる信長を、下段から政秀が何とも険しい表情で眺めていた。
「殿、何卒お願い申し上げます。一度だけで良いのです。先達てのこと、皆様にお詫び下さいませ」
「は? 何の話じゃ」
「ですから、先達てのご葬儀での無礼な振る舞いのことでございます!」
「…まったく、お濃といいそちといい、頭にあるのは葬儀での一件の事ばかりなのじゃな」
「当たり前でございましょう!この城の者たちだけでなく、親族・臣下を含む織田家中一同の者の前であのような愚行を働いたのですから!」
信長は煩わしそうに政秀から顔を背けた。
「このまま事を野放しにしておけば、信勝様を跡継ぎにと推す者たちとの間で内乱が起こるのは必至!
そうならぬ為にも、せめて母君の報春院様や本家筋の信友様らご親類の方々にだけは、どうか一言お詫びを申して下さいませ」
「詫びる必要などない。そんな阿呆ぉな真似が出来るか」
「いい加減に致されませ殿!」
政秀は穏和そうな顔を真っ赤にして叫んだ。
二人の視線が宙でかち合う。
厳しい傅役の態度に、信長も一瞬憤りを覚えたが、それもこれも自分を案じてのこと。
信長は刀を鞘に収めるように必死に気持ちを鎮めた。
「相分かった……そなたがそこまで言うのならば、詫びてやっても構わぬ」
思いがけぬ言葉に政秀の表情がふっと和らいだ。
「それは、まことでございますか !?」
「ああ。ただし、儂の条件をそちが呑んだらな」
「条件…」
訝し気に首を捻る政秀を、信長は居丈高に見据えた。
「そちの嫡男・五郎右衛門が大事としている愛馬、あれを儂に渡すのじゃ」
「倅の馬をでございますか?」
「そうじゃ。なかなかの駿馬(しゅんめ)と評判であった故、一度 五郎右衛門に馬をくれと直々に頼んだことがあったのよ。そうしたら奴(きゃつ)め…」
《 某も武士の身にございますれば、務めの上で馬は必要不可欠。いくら信長様の仰せでも、我が愛馬をそう易々とお譲りする訳には参りませぬ 》
「…と、生意気にも儂の所望を断わりおってのう」
「──」
「五郎右衛門を説得し、あの駿馬を儂に差し出すのであれば、詫び入れの件、考えてやっても良いぞ」
「さ、されどあの馬は、倅がそれこそ宝のように大切にしております故、手離すかどうかは……」
「必ず儂に差し出すのじゃ。良いな」
信長は言い銜(くぐ)めるように告げると、パンッと膝を叩いて立ち上がり、上段横の戸襖からそそくさと出ていった。
一人残された政秀は、四半刻前の濃姫と同じような心持ちで、目の前の冷たい床板を茫然と眺めているのだった。
その夜──。
織田彦五郎信友のおわす清洲城の一室には、じりじりと緊迫した空気がみなぎっていた。
上座の檀にふてぶてしい程の威厳を放ちながら端座する信友の前に、林秀貞・通具の兄弟他
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