「ぁ」
不意に冬乃が小さく声をあげた。
彼女の視線の先を見れば、食事の前に沖田がまくっておいてやった袖が戻っていた。
彼女には当然長すぎる袖だが、たすき掛けをさせるのもどうかなので、手首の位置まで数度折っておいたのだが、
食事の動きを繰り返すうちに緩んでゆき、いま一気に落ちてしまったのだろう。
椀と箸をそれぞれ持ったまま、https://www.mediaondigital.com/services/integrated-branding-and-creative/ 突然ぶかぶかに戻った袖に困っている冬乃に、沖田は微笑って手を伸ばす。
丁寧に元通り両袖を折ってやりながら、
どうも周囲から強烈な視線を、とくに土方の方角から感じるが、もちろん沖田は素知らぬふりで続ける。
「すみません。ありがとうございます」
折り終わった時、照れた微笑で冬乃が見上げてきた。
ついでだから。
「冬乃」
新たな命令を与えることにする。
「これから敬語抜きね。今夜は、必ず守ってもらうよ」
わかってるよな、“お仕置き”の一環だと
眼に籠め、見つめれば。冬乃ははっとした顔になって、
数回瞬き。小さく、吐息とともに頷いた。
(さて・・・守れるかな)
破っても構わないが、その分 “追加”するだけだ。
二人の意味深長なやりとりを受け周囲がどよめく中、沖田はかわらず素知らぬふりで再び膳へと向き直った。
あれから沖田は、どこぞの男の服なぞさっさと己の手で最後まで脱がし、冬乃には代わりに、沖田の着物を着流しで着せたのだったが。
余った裾を、女帯に比べると細い男帯で止めているため、冬乃の腹回りは異常にもたついている。もっとも、沖田の目にはそれもまた可愛い以外の何でもないものの。
しかし冬乃は気づいていないが、寝かせていたせいで彼女の総髪は、うなじに幾すじもの毛を落として艶っぽく乱れており、
しかもその頬はほんのりと紅潮し、どことなくとろんとした瞳はもうずっと直らぬままであり。
この夕餉の広間で。
見てはいけないものを見てしまったような表情で、顔を赤らめて目を逸らす者もいれば、
先程から、ちらちらと盗み見を繰り返す者もいる。
思いっきり。睨みつけるが如く凝視している者も、いる。
当然それは、土方だが。
「おい総司」
そして土方は遂に沖田へと、その睥睨を移してきた。
「おめえ、何した」
“お仕置き”しろと言ったのは、土方だと。沖田は内心笑いながら、
「何とは」
けろりと見返せば。
「・・・」
変な仕置きでも本当にしたんじゃねえだろな
と、激しく問いたげな剣呑な視線が、続いて飛んできた。
とはいえ、この場ではさすがに声にまでは出せないのだろう、その形の良い口元を真一文字に結んだだけだ。
沖田は目を細めてみせた。
ええ、本当にしましたよと。
「・・・ッ」
しかと伝わったのだろう。
土方は一瞬片手で額を抑え、それはそれは深い溜息をついた。
「ん?どうした歳」
近藤が、心配そうにそんな土方を覗き込むのを横目に。
沖田は再び隣の冬乃を見遣る。
視線を受けてすぐに沖田を見上げてきた冬乃の、艶やかに蕩けたさまを堪能しつつも、
閨から抜け出たままの如きこんな艶姿には、他の男になぞ見せずに隠しておきたい想いと、見せつけてやりたい想いとが、胸内でせめぎ合って喧しい。
(まあ、藤堂は・・居なくて良かっただろう)
夕番からまだ戻っていないようだ。
(・・こんな・・に)
愛する存在に、心だけでなく、この身を愛されることが、
これほど深く。現の意識まで抉るほどの、幸せな陶酔に冬乃を溺れ込ませてしまうのなら。
それなら、
いつかに沖田が答えたように。
肉体に魂が囲われるこの世での、これ以上ない限界にまで、
互いの、肉体が、
魂が。
近づけた時には。
(その時は、・・いったい・・どんなに・・・)
唇の奥へと挿し込まれた舌に、冬乃は瞬く間に翻弄されながら、追いつかない息で胸から喘いだ。
沖田の指は冬乃を、あの夜のように、容易に蕩かして。
「…ン…、…んー…っ………」
このまま、愛する想いの儘に、
(総司、さん・・・っ・・)
貴方に、抱かれたい。
全てが貴方の事だけになって。
他の何にも、囚われず。
決して叶ってはならない、この想いは。
もうずっと、前から、今そして更に、こうして沖田に触れられるたびに強くなってゆくばかりで。冬乃の心を残酷なまでに蝕む。
こんな、もうひとつの、禁忌など。
いっそ破ってしまえたなら。
「…ン…、…っ、……ン…ーーッ…」
弛緩した身を弓なりに反らせて、
冬乃は刹那に解放された唇で、息を乱して喘いだ。
沖田が冬乃を愛しげに見下ろし、冬乃の目尻に滲んだ涙をそっと拭う。
「そぅ……じ……さ…ん…」
整わない呼吸のなか、無性にせつなくて冬乃は沖田を呼んだ。
すぐに温かな眼差しが返り。
「冬乃」
優しい声が応え。
大きな手が降りてきて、冬乃の頬を撫でて。
(総司さん・・)
その熱い手に頬を包まれながら額に、目尻に、頬に、順に口付けられた冬乃は、
最後に半身を抱き起こされて、優しい抱擁で包まれた。
「いったん夕餉に行こうか。夜は、まだ長い」
冬乃の頬に直に響いたその言葉に。
冬乃は顔を上げる。
「あとはたっぷり休息所でやるから。覚悟してて」
(う、そ)
お仕置きも、ご褒美も。未だ、終わっていなかったのだ。
いや、何より、
(休息所・・って・・・っ)
冬乃は。
再び急激に加速した、鋭いまでの鼓動を胸に。今一度、小さく喘いだ。
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